(2020/9/1 更新)
橋下徹が安倍総理の辞任会見で「「冒頭『お疲れ様でした』と1人の記者しか言わないが、あんなものなんですか」とメディアに嚙みついているが、問題はそこなんだろうか。
吉村知事も「総裁は自民党が決められること。次の総裁がだれになろうとも、日本のリーダーとしてやってこられた安倍首相には感謝しかない。次のことはこれから始まる」と発言している。
そして、「会う度に『頑張ってますね』と温かい声をかけていただいた。僕も総理も、ものすごく批判されているが、僕の中ではほんと、やさしい総理でした」と振り返ったそうだが、安倍総理は自分を立ててくれる橋下徹や吉村知事には優しい人だったのだろう。
狂犬のような橋下徹は安倍総理にはいつも優しい。そう言えば、石原慎太郎に対しても優しかったように思う。人間、誰しも好き嫌いがある。私は、彼らが最初から嫌いだったわけではない。言動を見て嫌いになった。
石原慎太郎が『「NO」と言える日本』を出した頃は気骨のある人なのかと思っていたし、内実を知らないときは安倍晋三が小泉政権のときの北朝鮮からの拉致被害者の帰国に尽力したのかと思っていた。
しかし、石原慎太郎は豊洲移転問題で都議会の百条委員会の証人として出席したときに責任逃れのためか「脳梗塞の後遺症で、平仮名すらも忘れました」と言うのを聞いて本当は小心者だったのだと悟った。平仮名を忘れた人間が、最近も業病のALS(筋萎縮性側索硬化症)とツイートして批判されている。
安倍晋三については、正直、第一次安倍内閣のときは人間性まで知らなかった。民主党政権の体たらくにうんざりしていたので第二次安倍内閣発足時は少し期待していたが、すぐに化けの皮がはがれ、嘘に対して生まれつき免疫を持っていることを知った。
安倍総理がやったことは、利益誘導に尽きる。そして、政権の行き詰まりの直接の原因はコロナ禍で利益誘導ができなくなったことだろう。アメリカのトランプもコロナ禍で再選が厳しくなっている。
コロナは世界の為政者に対する戒めとなったのではないだろうか。コロナは、いみじくも為政者の危機管理能力を白日の下に晒すことになった。
コロナ流行の初期から安倍総理の管理能力の欠如が示されていたように思う。60を過ぎればたいていの人間は何かしらの持病を持っている。潰瘍性大腸炎は完治が難しい病気だということは本人が一番わかっていたはずだ。
緊急事態宣言前の「2月に平日夜11日間のうち9日に亘って会食をしている」と野党から指摘されても「大人数の会食ではない。首相としていろいろな話をうかがう大切な機会だ」と主張し、必要な会食は行い、自粛はしない報じられている。
しかし、夜の外食は普通の人でも健康にいいはずがない。大腸に持病を抱えている人間が夜に会食する行為は慎むべきだと思う。まして、総理大臣という要職に在り、健康管理に対して範を垂れるべき立場にある。
6月に国会を閉じた後の6月19日に麻生、菅、甘利の3氏との夜の会食を再開している。自分の健康管理もろくにできない人が国民の命を守れるはずもない。夜の会食より日中の頭の働きがいい時間に官邸の執務室で打合せをした方が中身の濃い話ができるのではないだろうか。必要な資料もすぐに用意できるはずだ。
要は、日中の執務室ではできない人事のような一部の人にしか聞かれたくない事項を相談するための密室会議を夜の会食で行っていたのだろう。そして、高級な美味しい料理を食べたいという生物としての本能もあることだろう。
この会食後から今回の辞任会見まで公式の場での会見を避けていたが、一人で持病に苦しんでいたのだろうか。「病気が理由で正しい判断ができなくなる」という説明を聞いて以前から正しい判断ができなくなっていたのではないだろうかと思わざるを得ない。そうでなければ公文書の数々の改ざんなどという事態はなかったはずだ。
憲法違反の野党からの国会の開催要求無視という問題はどうなるのだろう。今後、国会を開いたとしても安倍総理は責任者として答弁する必要がない。政権が代わっても安倍総理が証人として国会で説明責任を果たすことはないだろう。
森友学園問題で役人が死んでも誠実に向き合おうとしない人間に私もお疲れ様などという気持ちにはなれない。体調を気遣う言葉はあってもいいと思うが、そもそも、お疲れ様という言葉を言うかどうかは個人の気持ちの問題だ。他人から強要されて言うような言葉ではない。
★改ざん問題では近畿財務局職員赤木俊夫さん=当時(54)=が自殺した。妻雅子さん(49)は「一日も早く回復するよう祈ります」と首相の体調不良を気遣った上で、後任首相に「夫がなぜ自死に追い込まれたのか、有識者の第三者委員会を立ち上げ、公正中立な調査を実施してほしい」と要望。自ら原告となった訴訟についても、真相究明につながる対応を求めた。(2020/8/29 時事通信)
会社を出るときにすれ違う人にお互いにお疲れ様と言おうねというのとはわけが違う。橋下徹の主張は、日本の総理を長年務めた人なのだから最後くらい敬意を示せよということなのだろう。
本人の意思を無視してお疲れ様でしたと言うのが礼儀だろうか。国歌斉唱と同じ感覚なのだろう。半沢直樹が悪事を暴いて相手に無理やり謝罪させるシーンを思い出す。こういう場面では、相手にお疲れ様と一言言ってから質問するのが橋下徹の正義なのだろう。
橋下徹の本当の目的は安倍総理の擁護なのだろう。彼にとって安倍晋三は自分が守ってあげねばならない人間なのだろう。そして、安倍総理が院政を敷いて政治への影響力を残すことを望んでいるのかもしれない。
自分で性格が悪いことを認めている人の発言にはきっと裏があるはずだ。
👉橋下徹氏、「安倍政権賛成派」も「文書を破棄した、保管していない…これは勘弁して欲しい
しかし、安倍総理は連続在任日数が佐藤栄作元首相を抜いて歴代最長となった直後に辞任するタイミングのよさだ。
👉安倍首相辞任「このタイミングしかない」は本当か? 最も記憶に残る「言葉の言い換え」は?安倍後継は「#募ってはいるが募集はしていない」
民主党政権が悪夢なら、安倍政権は悪魔だったのではないだろうか。悪夢は目が覚めれば問題が解決する。しかし、悪魔はまだ、力が弱っただけかもしれない。
立憲民主党の蓮舫氏は「8年近く、内閣総理大臣として大変な激務の中で勤められてこられたことに心から敬意を表します。治療に専念され、御身体をご自愛していただきたいと強く思います」と発信した。
この発信は国民に対する忖度ではないだろうか。本心でないこと言うと聞いた人は不自然に感じるものだ。私なら「心から敬意を表します」ではなく、この場面こそ「お疲れ様でした」と言うだろう。
政治家はいつもうそをつく。忘れてはいけない。騙されてはいけない。
おしまい
(追記)「国家のために命を尽くそうと思った人間」て誰のこと
私の嫌いなテレビ番組で元衆院議員の金子恵美が「選挙に出て、国家のために命を尽くそうと思った人間であったなら、健康を理由に辞めることがどんなに辛くて、悔しいことか。選挙に出て、総理になってから言ってもらいたい」と発言したそうだ。
私は、当然、番組を見ていないが、ネットの記事で知った。最近のメディアはテレビ番組を見て取材する?ことが多い。ネット記事の大半はテレビ番組の出演者の発言だったりする。
別に記事に文句を付けたいわけではない。たまたま、2017年10月の衆議院選で地元で遊説する彼女の姿がテレビで流れているのを見た記憶がある。必死の演説内容は利益誘導そのものだった。
安倍総理は国家のために命を尽くそうとしていたというのだろうか。国家のためや国民のためではなく、利益誘導で幼稚な憲法改正を目指していただけだろう。
だいたい総理にならなければ、国民は総理を批判してはいけないのだろうか。論理が飛躍している。健康を理由に辞めることと国家のために命を尽くしたという根拠のない事実は関係ないはずだ。総理の仕事は激務かもしれないが、世の中、薄給で命を削って家族や世の中のために過労死状態で働いている人はたくさんいる。
そもそも政治家が「選挙に出て、国家のために命を尽くそうと思った人間」なのだろうか。不倫、贈収賄等の不祥事を起こしても内心はみんなやっているのになんで自分だけ追求されるのだろうと思っているのではないだろうか。
仕事をしてもしなくても高額な議員報酬と満額の経費が保障されている個人事業主なのではないだろうか。不祥事を起こして説明責任を果たさなくても所属政党を離党すれば、お咎めなしの甘い世界に生きている世間と遊離した人たちではないだろうか。
企業に勤めていれば、解雇されて放り出されてもおかしくないような不祥事を犯してもせいぜい政党交付金の分け前がもらえない程度で済んでしまう。落選しても元国会議員経験者としてコメンテーターやタレントとして稼いでいる人がいる。そんな人にたやすく命を尽くしてとか命をかけてとか言ってほしくない。
ウィキペディアに出ていた彼女の元国会議員としての政策は、憲法9条の改正と集団的自衛権の行使容認に賛成、特定秘密保護法は日本に必要だ、アベノミクスを評価する、原発は日本に必要だ、村山談話・河野談話を見直すべき、選択的夫婦別姓制度導入について「どちらとも言えない」となっている。安倍総理が期待する女性議員は洗脳でもされたように紋切型のタカ派ばかりだ。
裁判中の河合杏里議員も確か、メディアの質問に国を変えるために国会議員になったと発言していた。彼女たちがうそを言っているのか、妄想に憑かれているのか定かではないが、こんな幼稚な人たちが国会議員かと思うと税金を払うことがあほらしくなる国民が増えるのではないだろうか。