(2020/8/22 更新)
最近、終了したばかりの日本テレビのドラマ「ハケンの品格」にスーパー派遣社員の主人公大前春子の上司として里中賢介役で小泉元首相の長男小泉孝太郎が出演していた。
ウィキペディアを見るまで知らなかったが、彼も進次郎と同じ私立の関東学院大学付属の小中高に通い、二人とも野球に熱中していたようだ。彼も進次郎と同じ政治家への道を志していたが、父純一郎に反対されて役者になったと書かれている。政治家にならなくて正解だったのではないだろうか。
私は孝太郎に対して役者として好感を持っている。進次郎に対しても最初の頃は好感と期待を抱いていた。このホームページの“木になる芽その4”の「中央公論 すべての町は救えない」という記事で当時、彼のことを以下のように書いていた。
中央公論を買ったのは「すべての町は救えない」という特集の中のメインの鼎談の参加者の一人が小泉進次郎氏だったこともある。私は、いわゆる無党派で特定の政党には興味が無かったが、小泉進次郎氏は若いながら、数少ない、本当の政治家のように思う。ぶれない発言と政治家としての使命感に共感できる。年齢は関係ない。鼎談の参加者の増田寛也氏も普段の言動に誠実さが感じられ、好感を持っていたので、人口問題について3人がどういう考えを持っているのか知りたくなり、中央公論という普段読まない書籍を購入した。鼎談の他に、日本創世会議・人口減問題検討分科会が発表した「増田リスト」に掲載された自治体の取材ルポや他に3つの関連論文が掲載されており、興味深く読むことができた。
しかし、この期待はまったく裏切られた。今では彼を支えているのが、世間知らずの根拠のない自信だと思っている。自動的に進級できるエスカレーター方式の学校教育を受けて実社会での経験もなく、親の庇護を受けて政治家になったような人に期待することがそもそも間違っていたのだろう。よく調べもしなかった当方にも責任がある。
小泉元首相が引退して進次郎を後継に指名したときに私も人並みの親だから息子がかわいいというような発言をして後援会に対して進次郎への支援を頼んだという記事を読んだ記憶がある。ネットで検索してみたが、今となっては何の記事だったかわからない。
しかし、このばか親子関係が今でも続いているようだ。親ばかと2世議員という現実を拒否する息子。私は2世議員でも世間並みの見識を持って仕事をしているなら問題ないと考えているが、自分の立場に無自覚で根拠のない自信の下にどや顔で上から目線の発言をする”若造”に心底、失望している。最近は、安倍総理と同程度に進次郎の顔をメディアで見るのが苦痛だ。かつて進次郎をまだ若造だと言ったのは、親ばかの小泉元首相だ。間違っていなかった。
二人はとてもよく似ている。親の庇護を受けて大学を卒業し、米国に留学して箔を付けて日本に戻って来て親の地盤を引き継いで政治家になっている。安倍総理は一応、民間企業に就職したことになっているが、世間と乖離した感覚の持ち主であることは間違いない。
よく取り上げられるメディアは二人とも産経新聞だ。安倍総理を動かしている妄念は憲法改正で、進次郎の妄念は規制緩和だ。しかし、妄念の中身がないところが二人に共通している。正しいから正しいという主張しかない。
二人とも過ちを決して認めない。コロナの流行前に後援会の飲み会に出席していたことに対する国会での発言は安倍総理と変わらない。危機管理に対する能力は二人に大差ないようだ。安倍総理も夜の会食を指摘されて居直っていた。
絶対に間違っていないと発言できるような人間を信用してはいけない。
最近、進次郎が「脱炭素社会をつくる一つの鍵となる電源は原子力だっていうのは、国際社会でも共有されている認識ではあります。」と発言している。そして他人事のように「30年で絶対に自分の目が黒いうちに成し遂げたいのは、福島の復興です。福島の原発事故が起きて、汚染された土、これを(中間貯蔵開始から30年以内に)福島の県外に運び出す、これは約束なんです。健康でいれば、見届けることができます。」と語っている記事を読んで呆れている。
人生100年、生涯現役で働けと主張している人が随分と弱気な発言だ。彼は30年後でも70歳前の働き盛りのはずだ。年金の受給は75歳以上になっているのではなかったのだろうか。年金をもらわなくとも積み立てた議員報酬を投資に回せば悠々自適なのかもしれない。
小泉元首相は脱原発、自然エネルギー社会の実現を明確にしている。進次郎は自然エネルギーのことには触れずに「一つの国で2度原発事故をやったら終わりだと思います。そのリスクを国民の皆さんと一緒にどういうふうな議論をするのか、まさにこれから、石炭の問題が一つの風穴となって前に進んだ中で、そういう議論をファクトベースでしっかりとしていくべきです。」と主張している。
回りくど過ぎてもはや何が言いたいのかまったくわからない。おそらく、脱炭素社会で原発は不可避だと言いたいのだろう。しかし、ストレートに言うことによる批判を恐れているのだろう。国民との議論の問題であり、福島の復興は自分が健康だったら見届けられるという表現に止め、深入りしない用心深さにその狡猾さを感じてしまう。
安倍総理のやってきたことは、自分の責任が問われないで済むように数で法律を変えてきただけだ。彼の言う法が支配する社会というのは、自分に都合のいい法律を作った後の社会のことのようだ。
責任逃れの総理と責任回避の総理候補、どちらももううんざりしている庶民は多い。そろって政界から潔く引退してほしい。二人とも、ため込んでいるだろうし、講演料も入ってくるだろうから生活に困ることはないだろう。生活に困らない人に自助努力を言われたくない。
…とコロナとうだるような暑さで天のつぶやきが聞こえてきた。幻聴だろうか?
おしまい