最近はマニュアル人間ばかりになってしまった。コンビニもマニュアル通りの作業ができれば海外労働者でもひょっとするとネコでもいいのかもしれない。同一労働同一賃金には向いた職場なのかもしれない。
しかし、コンビニを辞めたときに個人としてどんな能力が付いているのだろうか。コンビニでは店員がマニュアル通りに効率的に働いてくれさえすればよく、個人の成長やスキルアップなどということはどうでもいい。効率的に接客して客をさばいてくれればそれでいい。性能のいいバーコードリーダーが必要とされているだけだ。
かつての職場はオン・ザ・ジョブ・トレーニングというものが存在していたが、今はマニュアル・トレーニングしか存在しないようだ。社員が成長するのを待ちながら育成する手続きがカットされてしまったように思う。だから、いつまで経ってもマニュアルを超える仕事ができない。マニュアルにない事態に直面するとうまく対応できない人間ばかりが生産されている。
マニュアルは必要だが、マニュアルは基本にすぎない。マニュアルは補助輪のようなもの。時間の経過とともに補助輪を外して自分で考えて仕事ができるようにならないと今の仕事を辞めたらどこに行っても通用しないように思う。
私は最近、電話の問い合わせを極力しないようにしている。コールセンターに電話して質問してもたいてい満足な答えが返ってこない。マニュアルに載っていな想定外はタブーになっている。そんな質問をしようものなら長い時間、待たされた挙句に頓珍漢な答えが返ってくるのが関の山だ。
例えば、Excelで分からないことがあれば、ネットで情報発信している人の情報の中にたいてい答えが存在している。それでも、コールセンターにもきちんと対応できる人がいる。そうした人はマニュアルを調べることがあっても相手の質問の意図を汲んで対応しており、マニュアルを道具として使いこなしているのだろう。
マニュアル通りの仕事しかできない人はその意味まで理解していないように思う。普段からなぜなのだろうと考える癖がついていない人は最初の段階では考えない分仕事が早いかもしれないが、そんな人に大切な仕事を任せられるだろうか。
理解してからでないとうまく仕事ができない人は最初は仕事が遅いかもしれないが、いったん理解できればその後の進歩が速いように思う。マニュアル人間に進歩やより良い方法を考えることを期待するのは難しい。
仕事の楽しさはもっと良い方法がないかと自分で考えて試行錯誤するところにある。最初はマニュアルに従って仕事を始めることが大切だ。マニュアルを覚えることで基本が身に付く。誰でも最初は人のまねをして仕事を覚えて行く。マニュアルは後進のための道標だ。人が仕事を覚えるためには道標や地図が必要だ。
しかし、あなたはマニュアル通りの仕事を一生続けていけるだろうか。短期間のパートやアルバイトなら必要なお金を稼ぐために割り切ることができるかもしれないが、70歳までその仕事を続けられるだろうか。仮に金さえもらえればいいとしてもマニュアルさえあれば誰でもできる仕事はいずれ機械に置き換えられることになるだろう。
例え、本人がその仕事を続けることを希望しても明日、突然、仕事を機械やAIに奪われる可能性が高い。企業が時間でなく、能力で賃金を払うと言っているのは労働者を単なるコストと考えているからだろう。より安いコストで同じ仕事ができるならあなたである必要はない。外国人労働者でもAIでも、あるいはネコだって構わない。
あなたが合理主義者で好きな時間だけ働いて能力に見合った賃金がもらえる仕事を希望したとしてもマニュアルがあればできる仕事はやがて誰かに、あるいはロボットに代替されることになる。
だけどマニュアルを超える能力がついていれば、あなたは必ず必要とされる。それは料理人でも何らかの技術者でもいい。その域の人が職人と呼ばれるのだと思う。きっと、次の時代に必要とされるのは職人だと思う。マニュアルがあればできる仕事は他人に任せて職人になれる仕事を探すべきだと思う。
👉「3年以内に辞める若手は根性なし」という批判が、時代遅れになった理由
マニュアルとノルマを捨てた先に人間のするべき仕事があるように思う。マニュアル通りの仕事や経営者の短期的業績の達成に奉仕するためのノルマからさようならできたときにあなたは自分のために70歳までその仕事を続けられるだろう。
最近、安売りメガネ屋の勢力拡大で街のメガネ屋さんが消えかかっている。私も安売りメガネを2個買ってみたが、今は手元にない。彼らが売る大量生産大量販売のメガネはメガネをコモディティ化した。商品の値段が下がり、メガネが気軽に買える商品になった。
しかし、商品の付加価値は圧倒的に劣化してしまったように思う。顧客に商品を説明し、提案するスキル、検眼のスキル、メガネを顧客の特性に応じて調整する技術が劣化したという以上に失われてしまったように思う。そこには低価格の商品を大量に絶え間なく売り続けなければならないノルマと短時間で商品を引き渡す回転率の追求しか求められなくなってしまった。
安売りメガネが出てきたときはいい商品をより安く供給するというスローガンだったと思うが、現在は競争の激化により、より安くより大きな市場に大量に販売してシェアを大きくして生き残るとういう先の見えないところに向かっている。
低い利益を大量販売で補うグローバル化とコモディティ化に未来はないように思う。企業も従業員も疲弊するだけだ。そもそも行き着く先のことを現在の経営者が考えているとは思えない。市場はいずれ飽和するときが必ず来る。自分だけ生き残れる保証などどこにもない。
安売りメガネ屋さんの若い店員のスキルは相当低い。検眼は短時間で終わるが、機械任せ。商品を受け取ったらレンズに青い粉が付いていたのでクレームを言ったらそんなはずはないとまるでこちらに非でもあるかのような対応だったが、レンズ拭きで拭って原因が分かったらしく、しばらく待たされてから再引渡となった。平謝りされても気分は晴れなかった。
そんなこともあり、昔、メガネを購入していた和真を思い出して最近は和真でレンズ交換したり、メガネを購入している。検眼が丁寧で提案や商品の説明もしっかりしている。正直、以前は住んでいる地域に店舗があったという理由だけでメガネを購入していたが、最近はメガネなら和真がいいと思っている。作ったメガネもこれといった不具合もない。
それでネットで和真という会社を調べてみた。そして、このご時世にノルマがない経営をしていることを知った。こういう会社なら長く働けるのではないだろうか。店舗の人には自信というようなものを感じる。家内も同じ店でメガネを作っており、比べものにならない程検眼を丁寧にしてくれたと言っている。
メガネの値段も手頃だ。最近、お店に寄ったときに鯖江のムレームをセットにしたメガネを売っているのを知った。正直、この値段で国産フレームのメガネを購入できることを知って少し驚いた。品質の良さだけに胡坐をかいていては生き残れないという危機感があるのかもしれない。無論、安売りメガネ店の商品に比べれば、高いかもしれないが、かと言って数千円のセットのメガネに不安を覚えるのも事実だ。しかも、健康にも影響するメガネを提供するスキルのない店員から購入するリスクは大きい。70歳まで続けられる仕事ではないことは明らかだ。
ネットで調べた和真の情報は以下のようなものだった。興味のある方は自分で真偽を確かめてほしい。この記事を書く気になったのは和真のことを調べてちょっと感心したからだ。 おしまい
👉和真にメガネを作りにいったら、やんわり断られた。ファンになった。
👉眼鏡の聖地 鯖江の心 | メガネ専門店 - 和真(ワシン)