今や法人税の税収は消費税と所得税の2つの税収の三分の一しかない。消費税は景気に左右されにくい安定財源だ。一方、企業の経常利益と内部留保が過去最高だというのに法人税の税収はあまり伸びていない。公的インフラに支えられている企業には国を支えるという役割は期待されていないようだ。
企業の社会的責任という言葉はもはや死語となりつつある。余計な福利厚生費を削り、賃金を抑制してただひたすら株主への配当を増やす企業だけが生き残り、優れた企業として評価される。かつては企業の福利厚生制度が社会保障と一体となって国民の生活を支えていたが、現在は利益につながらないものは脱ぎ捨ててただただ身軽になって国に対して行動の自由だけを要求してくる。
税金は負けろ、競争力強化のための補助金を出せ、社会保障費の企業負担を減らせと都合のいい主張ばかりで虫が良すぎるように思う。いやだったら日本から出て行くのだろうか。本当にその覚悟と能力があるのかとても疑わしい。日頃から効率化と生産性の向上を追求している割に経営体制は非効率で不透明だ。
自分たちで決めたコンプライアンスやガバナンスの体制は能書きに過ぎず、不祥事続きだ。グローバル企業は蓄えた巨額の内部留保資金を使ったM&Aで巨額の損失を出している。経営者は失敗しても責任を取らないことが東芝の米国の原発投資の失敗で明確になっている。役員を辞任しただけで責任を取ったとは言えない。日産のカルロス・ゴーンさんも不祥事問題にはいつもノータッチだ。結局、アメリカの物まねなのだろう。
♦日産不正、出荷優先で検査軽視 経営責任回避し幕引き、台数拡大~原因を「計画通りの生産出荷が優先され、検査が軽視されていた」などと説明。不正の対象となった台数は当初から34台増えて1205台に拡大したが、カルロス・ゴーン会長ら経営トップの責任は回避し、幕引きを図る。( 2018/09/26 共同通信社)
すぐに結果を出す簡単な方法はコストカット。必要とされる能力は自分本位で性格が悪いこと。そして、責任を取らないこと。マクドナルドの前CEOの原田氏などはお手本のようだった。前大阪市長橋本徹氏もやったことはコストカットに尽きるように思う。
グローバルスタンダードの本質もコストカット。経営者に求められるのは不特定多数の消費者が許容してくれる程度の品質の製品を最低限のコストで作り、最大限の利益を上げて株主に還元することだ。品質の基準は売れるか売れないかだけだ。違法でなければ安全性は優先順位ではない。
英語がグローバルスタンダードなのは多くの人が使用するからだ。言語として優れているからではない。英語をしゃべる人がグローバルスタンダードなのではない。アメリカ人はみんな英語を話すが、アメリカ人がみんな優れている訳ではない。それは日本語を話す日本人がみんな優れている訳ではないのと同じだ。
日本で英語を流ちょうに話せるとすごい人のように見えるが、それは英語を流ちょうに話せる日本人がほとんどいないからだ。その証拠にアメリカ人が英語で流ちょうに話すのを聴いてすごいと思う日本人はいない。つまり、英語を流ちょうに話せる日本人は希少価値だが、アメリカ人が英語を流ちょうに話すのは当たり前のことだ。
日本には英語が話せるが、仕事ができない人はたくさんいる。それなのに社内公用語を英語にして社員全員にTOEICの受験を義務づけている愚かな企業がある。これはアメリカ人には好都合だ。日本の企業で働くアメリカ人は英語が流ちょうに話せるというだけでグローバリストだ。日本人はコンプレックスの塊なのかもしれない。
私はAIには懐疑的だが、翻訳ソフトや翻訳機は今後ますます使いやすくなっていくだろうと思う。今後、言語を異にする人たちの間のコミュニケーションには不可欠のツールになっていくだろう。AIで仕事がなくなるとか言ってるくせにモノにならない英会話の勉強なんかするより翻訳ツールを使いこなすことを奨励しないのが不思議だ。
だからと言って英会話を取得することや英語を勉強することが無駄だと言う気はない。翻訳ツールはあくまで便利なツールに過ぎない。誤訳やニュアンスの違いに気づくためには英語の学習は必要だろうと思う。しかし、ナチュラルスピーカーのレベルになる必要はない。人間、異文化の中に放り込まれて生活することになれば必要な会話力は必ず身に付く。
錦織選手だって今は英語のインタビューに対してちゃんと受け答えをしている。ヤンキースの田中投手もキャッチャーからのグラブ越しの耳打ちに相槌を打っている(ただし、英会話のレベルがどの程度なのかは不明だ)。
必要になれば順応できるように人間は創られている。普段、英語を使う必要のない人間にまで社内公用語として英語の習得を押し付ける経営者のセンスを疑わざるを得ない。無駄に社員にストレスを与えるだけだろう。 おしまい
(追記)伊達公子の最初の引退スピーチを思い出した
伊達公子さんが26歳で最初に引退したときのスピーチをこのブログを書きながら思い出した。そのスピーチを正確には覚えていないが、これは新しい始まり(beginning)だという趣旨の短いセンテンスだった。
英語を覚えたての小学生がメモを見ながら英文をたどたどしく読み上げるようなレベルだったのがとても印象的だった。しかし、この間の全米オープンのセレナと大坂なおみの決勝戦で主審のペナルティの判定に抗議しているセレナの言葉を拾って伊達公子さんが同時通訳しているのを聴いて驚いてしまった。
海外レーサーとの結婚生活で英語が身に付いたのだろう。やはり、人間、必要になれば年を取ってからでも英語は習得できるということだろう。TOEICのテストで高得点をとっても使わなければ何にもならない。英会話を趣味で習うことはそれはそれで意味があると思うが、英語が必要もない人間に英語の習得を義務付けるのはちょっとどうかと思う。まして、日本人同士の会話まで社内公用語の英語を使用させる企業は滑稽だと思うのだが…。
(追記2)メディアはトヨタにも忖度しているの?
日本の大手メディアが報じた「自動車追加関税回避、(FTAではなく)TAG交渉入り決定」という報道は安倍政権だけでなく、トヨタに対しても忖度したのではないだろうか。コモディティ化しつつある自動車産業だけをいつまでも擁護する必要があるのだろうか。