2019/9/5更新
私は最近、生産性という言葉に疑問を抱いている。生産性が上がれば国民は本当に幸せになれるのだろうか。私も経済の活性化には生産性の向上が不可欠だと思っていた。というより思わされていた。しかし、本当にそうだろうか。
経済とは国民経済のことだ。「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」経世済民こそ経済発展の目的のはずだ。しかし、メディアやエコノミスト、そして政府が経済というときは企業経済を指している。
トヨタのような大企業が利益を上げれば、経済が発展してその成果がトリクルダウン理論(「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」という経済思想)で雇用が拡大され、庶民の生活が豊かになるというようなことはないということが現在、証明されつつある。
現在の失業率の低下は団塊世代の雇用市場からの退出と少子高齢化による人手不足が要因で経済の好調によるものではないと思う。企業利益が好調なのはオリンピック関連を中心とした過大な公共投資と低金利政策による企業の金融コストの減少が大きな要因のように思う。日銀が国債市場と株式市場にじゃぶじゃぶと資金を供給した成果だろう。
その結果、日本国債市場は低迷し、「利息がほとんど付かなくなった国債を売買しても意味がないから、市場参加者はどんどん減少し、さらに新たに発行される日本国債の大半は、日本銀行が買い占めてしまう。」という状況だ。
👉日本国債めぐる、かつてないほどの異常事態 市場低迷がもたらしかねない6つの副作用
株価も高値のボックス圏相場で推移しており、日銀によるETF(上場投資信託)の買いが株価を支えているのは明らかだ。「すでに日銀のETF保有残高は20兆円を突破。日本株全体の3%超に達しており、『株価形成をゆがめている』との批判は強い。日銀の自己資本(8兆円弱)の3倍近いETF保有も異常だ。一旦、株価が下落に転じれば、あっという間に債務超過に陥りかねない水準なのだ。」と指摘されている。
👉突然の大暴落の可能性も アベノミクスの下支え「官製相場」も終焉か
そして、「日本銀行の統計作業の誤りで、個人など家計が保有する『投資信託』の 金額が、30兆円以上も過大計上されていたことが明らかになった。」と報じられており、その原因は「ゆうちょ銀行の保有分のうちこれまで『外国債券』としていた資産の一部が投資信託であった」いうから驚きだ。間違いの金額が30兆円とけた違いだ。国の言うことを真に受けて行動すると結局、自己責任で片付けられてしまいかねない。
郵政民営化と日銀のゼロ金利政策で郵貯資金も株式市場に投入されていたということだろうか。株式市場を牽引しているのはGPIF、日銀、郵貯資金の「クジラ買い」のようだ。国債も株式も官製相場と化してしまっている。
👉GPIFの10~12月期、運用損14兆8039億円 世界株安で最大に (2019年2月1日 日本経済新聞)
東日本大震災を契機として設定された企業に対する復興特別法人税は1年前倒しで廃止され、法人税の実効税率も20%台に引き下げられたが、庶民の実質所得は低下している。大企業の実効税率はもともと高くない。「租税特別措置」等で大企業の実効税率はもともと10%台だ。それなのにさらに法人税を下げてもらっている。
♦焦点:歯止めかからぬ人件費率低下、消費増税後を懸念する声も~財務省が3日に発表した2017年度の法人企業統計では、経常利益が過去最高を更新する一方、労働分配率は前年度の67.5%から66.2%に低下し、人件費率の漸減傾向に歯止めがかかっていない。他方、内部留保にあたる利益剰余金は前年から10%近く増えて446兆円と過去最高を記録。…一方、従業員への還元の動きは、なかなか加速しない。17年度の付加価値の構成をみると、人件費は66.2%とアベノミクスが始動した13年からの過去5年間で最低となった。従業員1人当たりの労働生産性は、13年の690万円から17年に739万円まで上昇。賃上げに追い風のデータもそろっていた。野村証券・チーフエコノミストの美和卓氏は「人件費率の低下の背景に、日本企業の利益率が低く、企業の取り分を高めにし、人件費を抑制する傾向がある。それに歯止めがかかっていない」とみている。(2018/09/03 ロイター)
♦所得統計、内閣府も過大に算出? 厚労省の上振れ数値使う~雇用者報酬は賃金の動きを示す重要統計の一つで、四半期ごとに国内総生産(GDP)と同時に公表される。今年に入っての前年同期比増加率(名目ベース)は1~3月期が3・1%と、1997年4~6月期以来の高水準を記録。4~6月期は4・1%と、現行の統計が始まった94年1~3月期以降で最大の伸び率となった。いずれも2017年平均の1・9%を大きく上回り、賃上げでデフレ脱却を目指す安倍政権にとって歓迎すべき結果となっている。ただ、この増加率は、今年1月の作成手法見直しで所得指標が高めに出るようになった厚労省の毎月勤労統計を用いてはじいている。内閣府は1月以降も、同統計の誤差を考慮することなく通常通りの算出方法を続けているといい、推計が大きくなりすぎていることが想定される。(2018/9/13 西日本新聞)
♦アベノミクス成果大げさ? 計算方法変更 GDP急伸~ただ急成長には「からくり」がある。政府は一六年十二月、GDPの計算方法を変更したのだ。「国際基準に合わせる」との理由で、それまで採用していなかった「研究開発投資」の項目を追加。このほか建設投資の金額を推計するために使っていたデータを入れ替えるなどの見直しを行った。この結果、一五年度の名目GDPは三十二兆円近く増えて五百三十二兆二千億円に跳ね上がり、一気に六百兆円に近づいた。ニッセイ基礎研究所の上野剛志氏は「明らかに統計の数字が良くなる特殊な要因がある場合、政府はできる限り丁寧に説明する必要がある」と指摘する。アベノミクスを分析した著書がある明石順平弁護士は「(建設投資の推計手法の変更など)国際基準とは関係ない部分の上げ幅が、安倍政権の時期だけ突出して大きく、都合よくデータを選んでいることが疑われる」との見方を示す。(2018/9/12 東京新聞)
一方、個人に対する課税はどんどん強化されている。だから、実質賃金が低下している上に可処分所得はどんどん切り下げられている。たとえば、復興特別税は法人が3年間から2年間に短縮されたが、個人に対しては復興特別所得税(25年間)が2037年まで課税され、住民税には10年間(2023年まで)1,000円が加算されている。
そして、2019年に消費増税により消費税が10%に上げられる予定だ。消費税が上がっても大企業は痛くも痒くもない。それどころか消費増税は経団連の要望でもある。グローバル型の大企業は輸出比率が高いから、輸出分のコストとして含まれる消費税が還付される。一方で、この輸出戻し税を擁護する下記のような記事もある。
👉消費税の「輸出戻し税」が大企業の恩典になっているって本当?
しかし、社会保障費の膨張でやむを得ず消費税で財源を確保するというのが消費税の本来の趣旨だったはずだ。それなのに消費税が上がれば上がる程、輸出戻し税で巨額の消費税が消えてしまうのが現実だ。どんな理屈をつけてもグローバル企業のコスト軽減策であることは事実だろう。
👉中小業者が苦労して納めた消費税収19兆円から3割以上の約6兆円が大企業の懐へ、消費税の輸出還付金は大企業への補助金
前記の擁護記事では「大企業が優越的地位を利用して、本来108万円で仕入れるべきところ、消費税抜きの100万円で下請けから仕入れている。…また、 大企業が下請け企業に圧力をかけて、消費税の転嫁を抑止しているという点。確かに大きな問題ですが、これは消費税の問題というより、下請法や独禁法などの不公正取引規制で取り締まるべき問題です。」と筆者は書いているが、輸出分についてはそもそも輸出企業は輸出先から消費税分を徴収していない。
輸出分に含まれている消費税相当分を輸出先の販売額に転嫁して販売することも可能なはずだ。しかし、それではコスト競争力が低下して海外で戦えないという理屈なのだろう。もし、企業の輸出競争力を国として支援する必要があるなら消費税からの戻し税ではなく、法人税に輸出奨励のための加算をして、輸出した企業の法人税を軽減もしくは消費税相当分の還付をするのが筋だと思う。
国は何かというと国民には自助努力と自己責任を求めるのだから企業にも自助努力と自己責任を求めなければバランスが取れない。こうした制度なら経団連も安易に消費増税を国に要求することもないだろう。自分の懐が痛まないどころか消費増税がコスト軽減につながるからこそ虫のいい提案を経団連はするのだろう。
この間、強行採決された働き方改革法案も結局、企業の人件費コストの削減が目的なのは明らかだ。原発の再稼働の目的も目先の企業の電力コスト負担の逓減にあるのだろう。問題はすべて先送り。TPPも大企業のグローバル展開を支援することが目的だろう。カントリーリスクから海外投資を守るのがTPPの役割だと思う。
日本に進出した海外のグローバル企業はTPPにより投資が保護される代わりにTPP加盟国に進出した日本企業は投資を保証され、投資受入国の協定違反によって受けた損害についてはISD条項を使うことで相手国に賠償を求めることができる。国や国民の利益より企業利益を優先する愚かさに呆れてしまう。TPPはグローバル企業の投資を保護するバーター取引に他ならないと思う。
最近、内田樹さんの「街場の憂国論」という文庫本を読んだ。考えさせられることがいろいろとあった。私はネットで時事問題についての内田さんの論評をときどき目にしていつも端的で鋭い考察に感心していたが、内田さんのことはよく知らなかった。
哲学者ということだが、私の知らない語彙は使うが、論理は極めて明晰で分かりやすく、いつも本質をついていると感じていた。今回の文庫本は同タイトルのエッセイ集を文庫本として再出版したもので2011年から2013年の間に書かれたエッセイだが、当時の筆者の危惧が見事に現在、顕在化していることを感じる。
哲学者の内田さんがどうしてこれ程、的確に時事問題を論じられるのか不思議に思っていたが、筆者の経歴を知って納得がいった。大学受験に失敗しながらも東大で学び、翻訳会社というビジネスにも携わった経験が知見に生かされているのではないだろうか。だから、評論家っぽくも学者臭くもないのだろう。
この本の中でTPPやグローバル化の問題が度々登場する。私が常々、感じていたことについてこんなに前から問題意識を持っていた、その卓見性に驚いている。
文庫本の中の「雇用と競争について」というエッセイでは、下村治が説いた国民経済を取り上げている。文中には「下村治は明治生まれの大蔵官僚で、池田勇人のブレーンとして、所得倍増計画と高度成長の政策的基礎づけをした人である。」と書かれている。
「下村の思想を一言でいえば『経済は人間が営んでいる』ということである。」という学者の知見が紹介されている。さらに下村の「日本は悪くない 悪いのはアメリカだ」という著書の「いったい、人間がいない経済を想定してどういう意味があるのだろうか。」、「本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人がどうやって食べどうやって生きていくかという問題である。」という言葉を引用している。
そして、当節はやりの「グローバル人材」とか「メガコンペティション」とかいうことを喃々と論じている人たちを皮肉っている。「『競争で勝ち残らなければひどい目に遭う」という命題を彼らは国際競争についてだけでなく、実は国民間の『生き残り競争』に適用しているからである。『競争に勝ち残れない日本人はひどい目に遭ってもしかたがない』と彼らは思っている。あれほど『競争力をつけろ』とがみがみ言い聞かせて来たのに、自己努力が足りなかった連中はそれにふさわしい罰(列島から出られず、貧困に苦しむ罰)が下るのは『しかたがない』と思っている。」という指摘は事実ではないだろうか。
小泉進次郎のようにひたすら国民に自助努力だけを求める人に日本を託すことができるだろうか。努力が報われなかった人やハンディキャップのある人も仲間として共に生きていける社会の方が結局、生きやすい社会なのではないだろうか。所詮、人間の幸福に正解などないのだから。
「今の日本における若年層の雇用環境の悪化は『多くの人に就業機会を与えるために、生産性は低いが人手を要する産業分野が国民経済的には存在しなければならない』という常識が統治者からも、経営者からも、失われたからではないのか。生産性を上げなければ国際競争力はつかない。生産性を上げるためには人件費を最低限まで抑制しなければならない。だから、『生産性が高くなればなるほど、雇用機会が減少する』というスパイラルが起こる。」と内田さんは書いている。
さらに「エコノミストたちは『雇用環境の改善には、さらなる生産性を上げることによってしか達成できない』というロジックを手放さない。」と指摘している。このロジックは私も詭弁だと思う。
ロボットの導入により生産性が上がるということは、省力化により労働者を減らすことにつながるのが普通だ。高額の設備投資を行うのは設備投資によりコストを低減できるメリットがあるからだ。
しかも高度な機械を導入すればするほど必要とされる人材は高度な知識を持った優秀な人間しかいらなくなる。あるいは無人化で人がいらなくなるのが落ちだろう。
企業が国際競争で生き残るためには仕方ないことかもしれない。しかし、高度な知識や技術を持たない人材の行き場を用意するのが国民経済だと私も思う。よく余った人材は成長分野に移動させればいいと言うがそう発言するエコノミストが本当にそう思っているかどうかはかなり疑わしい。
他の分野に移動できたとしてもいずれその分野も生産性を上げるために省力化が進められることになる。そもそも成長分野などそれほどないから、失われた30年に突入しつつあるのではないのか。無論、労働環境の改善のために省力化を進めることで労働者の負担を軽減することになるのなら歓迎されるべきだろう。
しかし、コンピューターやネットの普及で生産性は上がったかもしれないが、労働者の負担は減るどころか、ますます仕事量が増え、スピードが求められ、少子高齢化による人手不足で労働強化が進んでいるのが現実だ。
飲食や小売りのサービス業は労働力不足を補うための省力化投資が行われているが、少ない人で多くの仕事をこなす方向に進んでおり、おもてなしなんかに構っていられないのが現実ではないだろうか。今や飲食店に行くと外国人の従業員だらけだ。優秀と言える人材もいるが、残念ながらシャリからネタが落ちかかった回転寿司のようなおもてなしを見ることはまれでなくなっている。
品質より客が仕方ないと思える価格で商品を提供することがグローバル的には正しいようだ。より少ないコストで商品を提供し、利益を出すことが優れた経営者の条件だから、企業のモラルが低下するのは当たり前のように思える。
経営者に求められているのは配当を増やすために業績を向上させることだけだ。日本の株式市場が官製相場で底上げされているが、儲けているのは短期的な利益を追求して高速売買で利益を上げている海外ファンドが中心ではないだろうか。そして株式を大量保有している経営者や創業者が配当で潤っている。高額の配当所得は分離課税でなく、総合課税として課税されるべきだ。
GPIF、日銀、郵貯資金の「クジラ買い」は長期的な投資だろうから、行きつく先は売るに売れない塩漬け資産と化すのは目に見えている。株価が急落したときの責任は誰もとるつもりがないようだから未来の子供たちへの遺産となることだろう。それに気づいたときは後の祭りだ。
いずれにせよ、日本は不良債権と少子高齢化で日本人は「そして誰もいなくなった」日が来るのかもしれない。レガシーとして未来に残るのは廃炉となった原発の石棺だけなのかもしれない。
生産性が上がって誰もいなくなるとしたら生産性を上げる意味があるのだろうか。生産性を上げることに意味があるのは人間の幸せにつながるときだけだろう。AIやロボットが進化して自律的に生産性が限りなく上がる世界が到来すれば、ロボットは広大な宇宙に出て行くことができるかもしれない。生産効率の悪い人間や動物は不要になるだろう。
私が望むのはそんな世界ではない。労働を機械に任せて遊んで暮らすことでもない。適度に働いて自分で家族のために手づくりの食事をつくるような時間がある平凡な暮らしがいい。リニア新幹線なんかいらない。車もいらない。普段の移動はバスや電車で十分だ。
「『生産性を上げる』というのは端的に『人件費コストを減らす』ということである。だから、付加価値生産性の高いセクターでは、雇用がどんどん減る」ということになるという内田さんの考えに私は賛同する。
「生産性が高い産業は『よいもの』で、生産性が低い産業は『悪いもの』だというのは、下村の言葉を借りれば『原子論的』的な世迷い言である。生産性が低いが大量の雇用を引受ける産業(というより、大量の雇用を引受けるがゆえに生産性が低い産業)は、国民経済的には必要不可欠のものである。良いも悪いもない。全国民に就業機会を担保しつつ、付加価値生産性の高い産業を育成すること。これが国民経済の課題である。」そうだ。
「彼ら(TPP推進論者たち)は『自由貿易は完全雇用に優先する(なぜならば、自由貿易の結果、国際競争力に勝利すれば、雇用環境は好転するはずだからである)』というロジックにしがみついている。彼らが見落としているのは、自由貿易の勝利は、最終的にどの国の国民経済にも『義理がない』多国籍企業の手に帰するだろうということである。」と下村から教えてもらったと内田さんは述べている。
内田さんは「グローバリストを信じるな」と説いている。
「TPPで日本の農業が壊滅したあとに、アメリカ産の米や小麦や遺伝子組み換え作物の輸入が止まったら、日本人はいきなり飢える。国際価格が上がったら、どれほど法外な値でも、それを買うしかない。そして、もし日本が債務不履行に陥ったりした場合には、もう「買う金」もなくなる。NAFTA締結後、メキシコにアメリカ産の『安いトウモロコシ』が流入して、メキシコのトウモロコシ農家は壊滅した。そのあと、バイオマス燃料の原材料となってトウモロコシの国際価格が高騰したため、メキシコ人は主食が買えなくなってしまった。基幹的な食料を『外国から買って済ませる』というのはリスクの高い選択である。アメリカの農産物が自由貿易で入ってくれば、日本の農業は壊滅する。『生産性を上げる努力をしてこなかったんだから、当然の報いだ』というエコノミストは、もし気象変動でカリフォルニア米が凶作になって、金を出しても食料が輸入できないという状況になったときにはどうするつもりなのだろう。同じロジックで『そういうリスクをヘッジする努力をしてこなかったのだから、当然の報いだ』と言うつもりであろうか。きっと、そう言うだろう。そう言わなければ、話の筋目が通らない。」
内田さんの意見を国民はどう思うのだろうか。TPPの報道についてはどのメディアもきちんと伝えていないように思う。安倍政権寄りの産経新聞や読売新聞、そしてアメリカ寄りの日本経済新聞はともかく、朝日も毎日もTPPについては報道したがらないのはなぜなのだろうか。TPPを批判的に書くメディアは少ない。
メディアも広告を載せてくれる大口顧客の大企業には弱いということだろうか。とりわけトヨタについては批判的な記事を載せるメディアは皆無ではないだろうか。こうした対応は野党も同じだ。
私はかつてはトヨタは日本の宝だと思っていたが、トヨタはもはや日本の企業と言えない。そして、トヨタは大きくなり過ぎたように思う。自動車市場の限界が見えてきたように思う。どんなに性能が上がってもコモディティ化しつつある自動車に残された未来はコスト競争しか残っていないように思う。自動車は決して成長分野ではない。車がなくても生きていけるが、食料が調達できなければ生きていけない。食料がなければ幸せにはなれない。
生産性の文脈の先にあるものを私たち国民は真剣に考えるべきだと思う。とりわけ、人任せの国民は考える努力をして欲しい。 おしまい
(追記)日銀のマイナス金利政策で国民負担は増え続けている
日銀のマイナス金利政策で住宅ローンを抱えている世帯は借り換えによりローンの金利が下がり、負担感が減っているかもしれないが、変動金利で借りている人は金利が上がれば地獄をみる可能性がある。銀行の金利は顕微鏡で覗かないと気付かないレベルだ。そして、現在は自分の口座から預金を引き出すにも手数料を取られるようになっている。預金の保管料を取られる日も来るかもしれない。
♦銀行がジワジワと手数料をアップ - 将来は口座管理料が当たり前に!? ~普段、あまり意識しないようなことですが、銀行のサービスにももちろんコストがかかっています。コンピューターシステムの費用、通帳を印刷する費用、何より預金通帳は1冊あたり毎年200円の印紙税を払う必要があるのです。欧米では口座管理料を徴収する銀行は珍しくありません。日本でも、りそな銀行は2年以上預け入れや払い戻しがなく残高が1万円未満の口座保有者には、案内を送付したうえで年1296円の未利用口座管理手数料を徴収しています。(2018/8/25 マイナビニュース)
スルガ銀行のシェアハウス向け融資問題も日銀のマイナス金利政策の長期化や海外運用をめぐる環境変化などの逆風が背景にあるのは明らかだ。
👉シェアハウス融資、99%承認 スルガ銀、審査機能せず~2千億円超のシェアハウス関連融資額に対し、400億円超の焦げ付きが懸念されている。
(追記2)TPPが発効すれば国民負担はさらに増える
TPPが発効すれば、企業の海外移転は加速することになるだろう。TPPにより加盟国に進出した企業はカントリーリスクが減り、労働コストや税金の安い地域へ進出しやすくなる。つまり、工場や本社の移転の加速で日本の産業の空洞化が加速する可能性がある。
コストの安い海外で生産した製品や農産品をグローバル企業は関税が下がった日本に逆輸出することが可能になる。税金を軽減するために本社を海外に移す企業も出てくる。理由は経営の自由度を高めるために最適な地域を拠点に選ぶことが株主の利益になるからだ。利益追求を目的にした企業が、もしこうした戦略を取らなければ反って株主から追及されるリスクが生じる。
日本で生産して雇用を守って欲しければ労働コストや税金が一番安い地域の水準まで引き下げるよう経団連は国に圧力をかけることになるはずだ。例えば、厚生年金や雇用保険、あるいは労災保険の事業主負担の縮小や廃止すら求めてくる可能性がある。
TPPの目的は、建前は自由で公平な経済市場の実現だが、TPPの条文はグローバル企業が実務の中心となって作成したものだと言われている。自由で公平というのは、グローバル企業のための自由と公平ではないのか。TPPは加盟国内での投資が保証され、加盟地域で最も安いコストをグローバル企業が享受できるようにするための制度ではないのか。
TPPは国や国民より企業のグローバルな活動が優先される社会を目指すものだろう。各国の独自性や文化は破壊され、加盟国間の対立を生み出すのが落ちのように思う。EUの実験がとん挫しつつあるのも同じ理由ではないだろうか。地域が一つ、世界が一つになる日など結局、来ないように思う。地域や世界が一つになるより、各国がそれぞれの独自性と文化を維持しながら相手を尊重する以外に道はないと思うのだが…。