2019/9/16更新
自動運転
自動運転が実現できるとはとても思えない。スマートフォンのアプリですら頻繁にバグの修正をしているのに安全な自動運転のプログラムを本当に作れるのだろうか。センサーが故障したらどうするのか。運転手は本当に要らなくなるのか。雪で覆われた道をGPSだけで走れるのか。プログラムの不具合で走行できない車はどうするのか。
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決まったレール上を走っている電車でもいまだに運転手が同乗しているのに電子機器が苦手で車の知識もない、交通知識もない搭乗者が乗った自動運転車が複雑な公道を走ることが本当にできるのだろうか。考えれば考えるほど分からなくなる。自動運転の技術開発だけが先行してメディアが無責任な情報を流しているように思う。
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しかし、運転手をアシストする技術が自動運転というならかなり問題がクリアになる。何か不具合が生じたら手動運転に切換えて運転手が対応するなら運転の責任もはっきりする。技術開発の目標も明確にすることができるだろう。自動運転の機能を使うかどうかは運転手に委ねるべきだと思う。無論、衝突回避機能等の安全性をアシストする技術が確立された分野があるなら機能を絞って使用を義務付ければいいと思う。
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私の車にもクルーズコントロールなる機能が付いているが2~3回利用しただけでその後は使っていない。高速道路での速度維持に役立つのだろうが、速度調整のための車の挙動に不自然な感じあり、馴染めなかった。自動運転に対する期待はちょっと楽観的すぎるように思う。
運送業界では人手不足の問題解決に自動運転に対する期待が大きいが、実際に自動運転車を導入したときに本当にコスト削減につながるのか極めて疑問だ。例えば、自動運転のトラックが目的地の途中で故障して立ち往生したときにどうなるのだろうか。車から自動的に故障情報が送られてきて遠隔診断で故障原因が分かったとしても修理のために人を派遣したり、荷物を他の車に積み替えたりする作業が発生する。
あるいは自動運転のバスが途中で故障したときに乗客を安全に誘導することが可能だろうか。いずれにせよ、自動運転車を監視して管理する要員が必要になるだろう。自動運転車が増えたときには飛行機のような管制センターが必要になるだろう。
管制センターの施設費、管制用の機材や要員のコストを考えると本当に自動運転車がコスト削減につながるか疑問だ。人間なら臨機応変に対応することが可能で不測のあらゆる状況に対応したシステムを予め準備する必要はない。
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AI
最近、何かというとAI機能を搭載したという製品が注目を集めているが、そもそもAIという定義も確立されていないのにいとも簡単に何でもAIで人の仕事を置き換えることができるような情報があふれている。
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現在のAIに対する一般の人のイメージは人間のように言葉を理解する人型ロボットやロボット犬が代表例だろう。しかし、これは人や犬の動作を真似たプログラムにすぎない。また、学習機能を搭載したプログラムがあるが、これもパターン認識のプログラムにすぎない。
かつての科学者はAI開発の目標を考える機械を作ることをめざしていたように思う。しかし、今のAIは人間の仕種の模倣の段階なのではないだろうか。人はロボットが人間のような仕種をするとあたかもロボットが自ら考えているような錯覚に囚われ、感情移入しがちのように思う。
こうしたあたかも考えているような動作を実現できるようになったのはICの性能(演算機能と記憶容量)の向上と低価格化、ダウンサイジング(小型化)、安価な通信ネットワークの普及によるところが大きい。理論があってもその理論を実現するための部品がかつては用意できなかった。
けれどもAIで何でもできると考えるのは早計のように思う。本当のAIはきっと部品が自動再生される細胞レベルまで発展したときではないだろうか。しかし、それは生物と機械の境がなくなったときのように思う。
人間ほど柔軟に環境に適応できる生命体は他にないように思う。AI(人工知能)の究極の開発目的が人間のような知能を持った生命体を実現することだとしたらAIの開発など不要なのかもしれない。既に究極の知能体が存在しているのだから。
そう考えるとAIの目的も自動運転と同じように人間をアシストする機械を開発することだと思う。人間のように考えることではなく、人間の能力を拡張してくれる機能をAIの開発目標にするのが現実的なように思う。
何もしなくてもすべて機械がやってくれる世界なんかいらない。それは結局、人間の自己否定につながるだろう。人間は自分の力で努力して結果を出すことにしか生きがいを見出せないと思う。大谷選手とそっくりのロボットが野球をするのを見ても面白くはない。あるいはフェデラー以上のテニスロボットが活躍することを期待する人などいないように思う。機械にできることと人間ができることの意味は違う。 おしまい