もう一度やり直せという理屈のおかしさ
大坂都構想狂想曲後に住民投票の再実施を主張する人々がいる。維新の党の関係者や大阪都構想を支持してきた人々だ。だけど、これはとてもおかしな主張だ。賛成と反対が僅差だったからもう一度やり直せという理屈のおかしさに気づかない愚かな発言だと思う。住民投票で賛成多数になれば効力が確定し、二度と元に戻せないのに、負けたらもう一度、挑戦するべきだというのは筋が通らないと思う。それとも勝つまで住民投票を行うのが民意なのだろうか。
もし、これが一般の選挙だったら、こうした主張をするだろうか。負けた側が僅差を理由に再選挙を求めることができるならそもそも投票する意味があるのだろうか。もし、大阪都構想が僅差で賛成票が上回っていたらどうだろうか。反対派が、僅差の原因を若者の投票率が低かったことを挙げ、将来を担う若者の声が反映されていないと主張したら、どういう反応が起きただろう。
おそらく、負け犬の遠吠えとか、一票差であろうと、民主主義は、最終的には、多数決で決めるものだ。出口調査で70歳以上の高齢者以外の投票がすべて反対を上回っており、民意が反映されている。こうしたバッシングを都構想反対派は受けることになっただろう。だから、都構想の住民投票を再度実施しろという主張が、どんなに身勝手な主張か分かると思う。負けたらいちゃもんをつけるごね得以外の何ものでもないと思う。
しかも、民主主義とは、多数決だと主張したのは橋下市長本人だ。橋下市長を支持するならその本人の主張に従うのが潔いと思う。正直、私は、何でも多数決はで決めることには同調できない。多数決は、弱い少数者の意見を切り捨てることになる。少数者の立場にも配慮しながら物事を決めるのが本来の民主主義だろうと思う。
→維新は再度住民投票を 大都市強化は日本に必須 都構想否決は日本にとってマイナス
なり振り構わぬ戦いを仕掛けたのではなかっただろうか
橋下氏は、多額の税金を使って都構想の説明会やテレビCMを行っており、さらに維新の党を総動員してやれる限りのことをやったのではないだろうか。しかも、メディアに圧力をかける一方で、市民にはコンピュータを使ったスパム電話をかけた挙げ句、安倍政権の支持まで受けてなり振り構わぬ戦いを仕掛けたのではなかっただろうか。なのに、負けたらシルバーデモクラシーの所為だとか、結果にに影響のない投票の集計ミスを理由に再投票を求める人たちがいる。
→「都構想」賛成促し 橋下市長“肉声スパム電話”に大阪市民激怒
中央で決めた方が効率的で無駄のないという主張には根拠がない
そもそも争点にした二重行政が、大坂のガンだという主張自体、本当なのだろうか。今回の大阪都構想は、どんなに考えても大阪市を廃止して、5つの特別区に再編するだけのことだったように思う。だから、争点が二重行政しかなく、最初は支持していた人々の中にも大坂都構想が大坂の発展にどう結びつくのか疑問を抱く人がいたようだ。
菅官房長官は、大阪都構想について「二重行政はどこであっても、是正されるべきだ」と述べている。中央集権化は政権運営には都合がいいが、政治が国民から遠ざかるだけのように思う。しかも、中央集権化は、必ずしも行政や財政の効率化につながらない。それは、現在の省庁の縦割り行政による弊害(これも二重行政だろう。)や国のバラマキ型の財政運営を見れば明らかだ。
例えば、最近、2020年東京五輪の主会場となる新国立競技場の建設費が基本設計時から900億円増えて2520億円になったと文部科学相が正式発表している。東京都にも500億円程度の負担を求める方針だという。
現在の国の厳しい財政状況の中で財政再建を率先して進める責任がある国が、これまでのオリンピック開催国でも例のない巨額の競技場を建設しようとしている。これは、中央で決めた方が効率的で無駄のないという主張には根拠がないことを示す事例だと思う。しかも、オリンピック後の屋根の設置までは、競技場の運営収支は赤字だという。大阪市をなくして大坂府に権限を集中した方が望ましい行政運営ができるとどうして断言できるのだろうか。
→新国立競技場、船頭なき"大艦"の視界不良 なぜ建設費が2520億円に膨らんだのか
→新国立競技場に渡辺謙さん「国に借金があって立て直さなきゃいけないのに」
→新国立競技場2520億円に安藤忠雄氏「なんでこんなに増えてんのか分からへんねん」
官庁は、それ自体が既得権益集団だと思う。企業や外郭団体への補助金を通じて天下り先を確保しており、自己保存だけを目的にした組織だ。そして政権政党は、政権維持のために必ず、選挙を念頭に置いた政策を取らざるを得ない。既得権益を打破するためには、地方分権化を進め、財源も権限も人も地方に移し、地方の自治体が自己の責任で自立して財政運営を行う以外に方法がないように思う。
国に頼らず、自分たちで独自の政策を考える癖もつく
財源を地方に移管すれば、無駄な巨額の公共投資ができなくなり、自治体は、規模に見合った地域に本当に必要な分野に資金を投資するようになるだろう。国に頼らず、自分たちで独自の政策を考える癖もつくのではないだろうか。地方からアイディアが出ないと嘆くのでなく、権限と財源と人を移管することで地方に責任を持たせれば、地方の自治体も成長し、自ら創意工夫をするはずだ。国が助成金や補助金を出してくれることを前提にした無駄な大型の公共投資は減っていくはずだ。
権限や財源を分散することでリスクが分散化され、筋肉体質の国に生まれ変われるのではないだろうか。災害があったときも地方の対応力が高まるのではないだろうか。権限と資金と人を地方に移管することで地方に人材が集まり、地方も活性化するように思う。地方に合った、新しい産業が生まれ、雇用が増える循環を創り出すことができるのではないだろうか。
住民側から見た具体的なイメージが何も語られていない
地方分権化に逆行し、中央集権化を目指す大阪都構想は、地方自治を疲弊させ、都市部に人がさらに集中し、周辺地域の衰退が進むことが予想される。それは、平成の大合併の現在の惨状が物語っているように思う。地方自治にとって大きいことは決していいことではない。大坂にとって必要なのは、筋肉質の多様な地場産業と農漁業が育つ環境のように思う。カジノができて雇用が増えたとしても、大半は低賃金のサービス業従事者が増えるだけなのではないだろうか。人が住みたい街、子どもを育てたい街にはならないと思う。そもそも住民側から見た具体的なイメージが何も語られていないように思う。
国民が幸せになるかどうかという視点が欠けている
しかもカジノ法案が成立するかどうかも分からないし、成立しても大坂にカジノが誘致できるかどうかも分からない。仮にカジノが誘致できた場合の経済効果だけではなく、カジノがどういう形で街づくりに役立つのかよく分からない。
カジノ以外の産業はどうなるのだろうか。規制緩和を進めて外国企業の進出を促すのだろうか。その時、地場産業はどうなるのだろうか。正直、TPPは、日本の市場を解放して見返りに日本企業のグローバル化を支援することが目的だろうからグローバルで戦えない企業は淘汰されてもしかたがないというのが政府や経済界の考え方なのだろう。本当にそれが、日本国民の幸せにつながるかどうかは誰にも分からないだろう。
→カジノの街から大衆リゾートへ、賭博収益減少でマカオが路線変更
→アイリスオーヤマも参入 TPP見据え拡大するコメ輸出ビジネス
大阪都構想もカジノもTPPも、結局、国民が幸せになるかどうかという視点が欠けているように思う。年金が削減されても、あるいは失業してもそれだけで不幸とは限らない。所得が低くても、雇用が確保され、生活に不安がなければ、それはそれで仕方がないと思えるだろう。
誰も責任をとっていない
しかし、最近は不確定の強迫観念だけで上から目線で政策が進められているように思う。橋下市長や安倍首相は、責任を取れるのは政治家だけだといった主張を好んでする。投獄された政治家はたくさんいるが、結果について自ら責任を取った政治家などいないのではないのだろうか。最後は、辞任するか、リタイアして終わりだろう。
→安藤氏と森氏がOKすれば計画の変更は簡単だった 新国立競技場建設計画迷走の責任はどこに
→「誰も出てきませんよ。無責任体制ですから」新国立競技場建設見直しの責任はどこに…
石原慎太郎元東京知事は、成果も上げたが、誤りも犯している。例えば、1,000億円を出資して設立した新東京銀行は、放漫経営により結局、400億円の追加出資の挙げ句、東京都は、「新銀行東京株を東京TYに売却して資金を回収することができなかった。」と最近、報じられている。「代わりに、東京TY株を受け取り、大株主として同グループの経営を下支えしていく責務を背負い込んでしまったのである。」と指摘されている。結局、石原氏を始めとして誰も責任をとっていない。政治家や役人が責任を取るなどということは、大企業の経営者以上にない。
→石原慎太郎の犯した歴史的罪 都民血税1400億円をドブに捨てた「人気取り政策」
コスト削減が目的化した制度破壊
正直、既得権益を言い出したら、今や、生活保護受給者は言うに及ばず、年金受給者や正社員さえ既得権益者だろう。何らかの理屈を当て嵌めれば、誰もが既得権者ではないだろうか。橋下氏は、異論は、すべて既得権益者として攻撃していたように思う。橋下氏は、責任を取れるのは政治家だけだと主張していたが、残念ながらそんな事実は存在しないように思う。
既得権益の破壊に明確な理念がないなら、国民の劣情を誘った憂さ晴らしに過ぎなくなってしまうように思う。コスト削減が目的化した制度破壊にすぎない。橋下氏は、聖域なきコスト削減を進めてきたが、私は、大坂の文化については、補助金を出しても守るべきものがあるように思う。それが何かは大坂の人が決めることだろうと思う。
廃墟となる文明
人間は無機質な人工物の中では長く生きられない。生活の中で育まれた文化という空気の中で人は生きているように思う。東京の高層ビルの林立する空間には、文化は生まれないように思う。下町や田舎の自然の中に文化はあるように思う。カジノのリゾート施設は、今流行の金太郎飴のようなモールと変わらないように思う。時間が経てば、いずれ消えてゆき、廃墟となる文明にすぎないように思う。これからは日本だけでなく、他のアジアの地域も人口減少に入って行くことが予測されている。だから、巨大な施設をいつまで維持していけるか分からない。
社会保障の分配で深刻な対立
移民自体もアジア全体で減少していくことになるだろうし、日本が移住したい国に選ばれるか極めて疑問だと思う。日本の勝手な労働人口減少対策で移民が増えるとは思えない。また、仮に移民が増えたとしてもその人たちの老後を支える社会保障制度を日本が整備できるのだろうか。移民の人も日本で子どもを産んで育てようという気になるだろうか。移民の人が老後を迎えたときに社会保障の分配で深刻な対立が生まれないだろうか。
大阪都構想は、最終的には、憲法を改正して道州制を実現することを目指していた。維新の党の基本政策だ。しかし、道州制が日本の未来にとって不可欠だという根拠は示されていない。道州制は、国が進めてきた、自治体の合併の最終目標だろう。そこには、自治体の数を減らし、効率よく管理したという国の都合、官僚の思惑しか感じられない。
道州制の未来は明るくない
道州制を考えるとき、北海道が、道州制になったときに単独のブロックとして現在と変わらないなら、北海道の現状を見れば、道州制の未来が見えるのではないだろうか。道州制になっても北海道の中心は、札幌だろうから北海道の姿を物理的な道州制のモデル州と見ることができるのではないだろうか。「北海道ではニセコなどごく少数を除いて、札幌以外は全て消滅可能性都市になって」おり、札幌への人口が集中が続いているという。「北海道の出生率は1.28」と低く、物理的な規模の拡大を追求するのが道州制なら、道州制の未来は明るくないように思う。
→地方消滅は回避できるのか【後編】「これから高齢者が東京に集中すると、ますます地方の経済が回らなくなります」
仮面与党
規模の拡大による効率化を目指した平成の大合併は、地域を疲弊させ、多数の限界集落を生んだだけのように思う。まして、自民党の憲法草案は、地方自治の剥奪を目指しているが、維新の党の目指す道州制がどういうものかまったく分からない。維新の党のこれまでの動きを見ていると仮面与党というのが実際の姿のように思う。公明党は維新に与党の座を奪われまいと懸命に自民党に擦り寄っている。大阪都構想の住民投票自体、衆院選での維新の擁立を回避するための妥協の産物にすぎない。国民を無視したやり方だ。維新も公明も安倍政権にうまく利用されているのが現実だ。
→地方創生のウソ~地方自治体は、少子高齢化でなく、道州制で消滅する?
現在、国会で審議されている、労働法制、安保法制も維新の党の協力で成立する公算が高い。自民党は、数の力で法案を通したという世論の批判を避けるために維新の党を利用して野党の分断を図っているだけのように見える。衆院を通過した労働者派遣法の改正は、労働者側から見れば、維新を利用した骨抜き法案だ。安保法制については、国民の大半が今国会での法案の成立に反対しているのに維新は、独自案を出して法案成立に協力する姿勢を示している。維新の党が国民にどんな説明をしても民意を裏切っていることは間違いないと思う。
「是々非々で」というウソ
過去にも秘密保護法案の成立で維新とみんなの党の協力で結果的に法案が成立した経緯があり、維新の党は、信用できないと思う。まして、政治家を辞める予定の橋下市長が、安保法制について混乱させるような発言を繰り返していることにも違和感を覚える。維新は、何かと言うと「是々非々で」議論をして決めていくと言っているが、秘密保護法も安保法制も多くの国民は支持していないのだから民意を無視した行動を取っているだけだ。選挙に勝てばすべて白紙委任というやり方は自民党と同じ体質のように思う。 おしまい
→この存在感…維新「橋下氏ありき」の党運営変わらず 主導権争いに影響も
(追記) 責任転嫁
新国立競技場の高額建設費問題の責任は、民主党にあるという責任転嫁が始まった。今、問題にされているのは、莫大な建設費をかけて新国立競技場を建設するべきではなく、見直しするべきだというのが国民の声だ。それをそもそも民主党の責任だという責任転嫁を安倍首相は始めた。
どこまでずるい人なのだろうか。問題の本質とは無関係で、「ボクが悪いじゃないんだ。先に始めたのは向こうだよ!」と叫ぶずる賢い子どもの言い訳のような幼稚さだ。鳩山元首相と同じ、甘やかされて育ったお坊ちゃまなのだろう。ひょっとして裏で「追及されたら、民主党の所為にしちゃえばいいんだから」とでも周囲に言っていたりはしないだろうか。
ウソへっちゃら。「国民なんてアホだから、ボクが白と言えば、白だし、黒と言えば黒になるんだから」なんちゃってね。裸の王様に誰が真実を伝えることになるのだろうか?やはり、国民しかないようだ。最近、安保法制を阻止しようと若者が動きだしたのを知ってこの国は、まだまだ大丈夫だと感じている。
→新国立競技場について安倍首相「民主党時代に決まったこと」~民主党政権時代に、ザハ案でいくということが決まり、オリンピックを誘致することが決まった。…私も、『どうなんだ』と事務方に問い合わせた。
→「民主党のせい」は嘘、新国立競技場は最初から安倍首相の親分・森喜朗の仕掛けだった
◇新国立競技場:首相「デザイン決定は民主党政権下だ」(毎日新聞 2015年08月07日)~「デザインを決めたのは民主党政権下だ。デザインそのものに予算を膨らませる大きな原因があった」と述べ、民主党にも責任があると指摘した。民主議員は「責任転嫁も甚だしい」と反発した。…衆院で安全保障関連法案の採決が強行された翌日の7月17日に首相が白紙撤回を表明したことについて、小川氏は「批判をかわすための政治利用ではないか」と批判した。首相は「政治利用しているのは小川氏の方だ。この問題と安保法案は全く別だ」と気色ばんで反論した。
(追記2) 老害と公害
新東京銀行の処理で都財政に1,400億円の穴を開けた張本人が、無責任な放言を繰り返している。先日は、橋下市長が衆議院選に出るべきだと発言していた。その橋下市長ですら、現行案の新国立競技場建設を否定しているのに、都民以外の通勤者から税金を取って財源を確保しろという根拠がわからない。そもそも国民は、常識外れの建設費と維持費に反対しているのであって、財源の確保をどうするかを問題にしている訳ではない。
しかも、「今回の混迷を招いたのは『大物政治家がいないから。今の担当大臣は小物すぎる』とバッサリ。立て直し策として『有無を言わせずにやらせる大物が必要だ。今なら菅(義偉)官房長官にやってもらうしかない』と強調した。」と独裁者のような発言をしている。石原氏、橋下市長とも政治から引退した外野の人だという認識がないようだ。
「外野は引っ込んでろ!」というのが国民の気持ちではないだろうか。安倍首相、橋下市長、石原氏には、謙虚という姿勢がまったく感じられない。謙虚でない老人は、もはや老害だ。まして公人なら公害だろう。裸の3バカ大将に誰か本当のことを伝えてあげて欲しい。ブレーキの付いていないポンコツ・クラシックカーの公道での走行は禁止されていることを。
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