最近、103歳の篠田桃紅さんの著書「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い 」という本を読んだ。きっかけは、連休前に銀座に出た折りに有楽町駅に近い交通会館の三省堂書店に立ち寄ったことだ。1階の店内には、ベストセラーや店員さんが推薦する本や売れ筋の本が山積みにされたコーナーがあり、その中の1冊がこの本だった。
後日、家のテーブルに置いてあった本に家内が目を止めて、この本がテレビで紹介されていたことを教えてくれた。正直、新書版の本で1,000円は、少し高いと思ったが、4月10日が第1刷で、私の手にしたものは、4月25日の第3刷だからよく売れていることが分かる。ざっと見た内容もちょっと面白そうだった。そして、何より103歳になった人がどんな人生観を持っているのか知りたくなって購入してみた。
一番感心したのは、(失礼かもしれないが、)文章も内容もしっかりしていることだ。私が、仮に103歳まで生きたとしても呆けないでいられるかとても自信がない。読んでみて103歳の方が見える世界は、新鮮であると同時に意外と平凡な(いい意味で)人生感でもあった。東北の震災後、私は、平凡ということの貴重さに気づいた。平凡な人生ほど幸せな人生はないように思う。非凡な人生が面白いのはドラマの世界の中だけのことだ。
この本の中で私が最も新鮮に感じた記述は、次のような件(くだり)だ。
「私は生涯、一人身で家庭を持ちませんでした。どこの美術団体にも所属しませんでしたので、比較的、自由に仕事をしてきましたが、歳をとるにつれ、自由の範囲は無限に広がったように思います。自由というのは、どういうものかと考えると、今の私かもしれません。なにかの責任や義理はなく、ただ気楽に生きている。そんな感じがします。
この歳になると、誰とも対立することもありませんし、誰も私とは対立したくない。百歳はこの世の治外法権です。… 今の私は、自分の意に染まないことはしないようにしています。…自由という熟語は、自らに由(よ)ると書きますが、私は、自らに由って生きていると実感しています。自らに由っていますから、孤独で寂しいという思いはありません。むしろ、気楽で平和です。」
正直、桃紅さんのように健康で長生きできる人は、ごく希のように思うが、私は桃紅さんの生き方にとても共感した。周囲の人が「孤独死」することは望まないが、人知れず亡くなった人が、みんな「孤独死」だったのかどうかは、本人以外には分からない。
ただ、最近の私もひとりでいるときに孤独だと感じることはない。だからといって、人と会いたくないとは思わない。時々は、親しい人と会って飲みながら話したいと思い、気が向けばそうしている。
私は、サラリーマン時代にもあまり孤独感を抱いたことはない。だから特定のグループや派閥には、極力、属さなかった。酒に誘われても気が向かないときは、何かしら用事や体調を理由にして辞退していた。
仮にそれが人事上の不利益につながることがあったとしても、あまり気にしていなかった。企業に限らず、組織の人事が公平に行われるなどということはないので人事自体に不満を持ったことは一度もない。だから、私は、卑劣なことをする人や媚びる人、そして同調圧に弱い人が嫌いなので、おかしいと思ったことは、上司や同僚にもはっきりと言った。私のことを疎んでいたであろう人はいたが、一方で私の性格を知ってくれていた人もいたので孤立感や孤独感を覚えたことはなかったように思う。
私は、価値観を強要されるのが一番嫌いだ。だから、会社から異なる価値観を押し付けられても決して同調しなかった。かと言って表立って反発もしなかった。会社の研修では、別のことを考えていたり、あまりにつまらないときは自然にこっくりしてしまい、肩をたたかれたこともある。
しかし、仕事は、他の人より真剣に、そして誠実に取り組んでいたので、周囲からいじめを受けることもなかった。ただ、変わり者と見られていたように思う。私が考える自由は、決して価値観を他人から強要されないということに尽きるように思う。
この本では、短いエピソードの後に桃紅さんの短文の人生感が書かれ、その繰り返しで構成されており、まるで篠田桃紅語録だ。経営者の語録風ではなく、本職の「墨を用いた抽象表現主義者」が書いた素朴な生活の「書」もしくは人生の「詩」のようだ。だから、自然にその言葉が入って来る。
こんな一文がある。
「夢中になれるものが
見つかれば、
人は生きていて救われる。」
頭で納得しよう、割り切ろう
とするのは思い上がり。
あるいは、こんな一文も。
「人には柔軟性がある。
これしかできないと、
決めつけない。
完璧にできなくたっていい。」
人生の楽しみは無尽蔵。
最後にこんな一文は、どうだろうか。
「人との競争で
生き抜くのではなく、
人を愛するから生きる。」
地球上から、
戦争と飢餓がなくなることを願う。
人生の大先輩のことばを素直なこころで受け止めたい。 おしまい
(追記)
この「街づくりの参道」というホームページを始めてから1年が経過した。いつも書きたいと思ったことがあれば随時、自由に思いつくまま書いている。今では、このホームページは、私の趣味の一つとなったが、仕事ではないので書きたくないときはしばらく書かないでいたりする。しかし、「街づくりあれこれ(新着)」のコーナーは、まめに更新している。それは、こまめにやらないと情報が貯まり、更新が億劫になるからだ。このホームページは、情報発信であると同時に私自身のための備忘録であることをお伝えしておく。
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