裁判官の世間のイメージ
前回は、「町内会は義務ですか?」の内容について書いた。今回は、2冊目の「絶望の裁判所」について。本書は、元裁判官が組織の内側から見た裁判所を書いたものだ。1頁目のはしがきは、ダンテの「神曲」地獄編第三歌から「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ。」という引用から始まっている。この引用が、本書の内容を端的に表しているように思う。すなわち、絶望感だ。
筆者は、裁判官の世間のイメージについて「ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるとしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?」と読者に語りかけている。
実際に私もそんなイメージを持っていた。弁護士や検事については、不祥事も多く、元弁護士上がりの政治家も多いから、裁判官に対するような幻想は抱いていないが、裁判官については、筆者の告発通りなら由々しき問題だ。本書の中では、裁判官の不祥事についても触れられており、過去にかなりの数の不祥事が報道されているそうだ。正直、私は、裁判官についてあまり関心を持っていなかったのか、そうした裁判官の不祥事の報道をほとんど知らなかった。
効率よく事件を”落とす”ことだけを至上目的とする事なかれ主義
現在の裁判官数は、三千名足らずだそうだが、母数の割には、不祥事が決して少なくないことを筆者は指摘している。よくよく考えれば裁判官も人の子、中には間違いを犯す者が出ても不思議ではない。まして筆者が指摘するように裁判所が閉塞的なヒエラルキー構造(ピラミッド型の上下組織)であれば、日本の官庁や大企業と同じように精神障害にかかる人が一定数出ることはあるだろうと考えるのが自然だ。
そして、普通の社会経験を積むこともなく裁判官になった人々が常識とは異なる行動を起こす確率は高いのかもしれない。スターと呼ばれている芸能人が、非常識な経済感覚や自己中心的な考えを持つことは多く見られる。裁判官も自分の立場が特殊であることを理解しないまま、内なるエリート意識で裁判の仕事をしているならそれはとても怖いことのように思う。
筆者は、現在の裁判官は、一般の官庁の官僚と変わらないと言う。大半の裁判官は、、原告や被告の国民に真摯に向き合うことなく、ピラミッド型の上下組織の中で人事権を握っている、最高裁判所事務総局を見て上の意向に合う判決を書いているという。裁判も通常のお役所仕事の一つに過ぎないようだ。筆者は、日本の裁判所の目立った特徴を「事務総局中心体制であり、それに基づく上命下服、上意下達のピラミッド型ヒエラルキーである。」と結論づけている。
裁判官は、キャリアシステムの中での出世競争に神経を使うか、あるいは神経を消耗している職業集団というのが実態のようだ。裁判官の世界は、「隔離された小世界」であり、「精神的な収容所」だと筆者は表現している。憲法判断を避け、「効率よく事件を”落とす”ことだけを至上目的とする事なかれ主義の事件処理が目立つ」ようになり、「裁判官による和解の強要、押し付けの横行」という声が弁護士側から出ているという。
裁判官の事件処理件数の統計が毎月取られており、未済事件が増えることで「事件処理能力」が問われることを避ける裁判官の行動が和解の強要の背景にあるという。これでは、民間企業の営業が自分の成績評価を上げるために顧客の利益を無視した営業行為を行うのと同じだ。こうした状況の背景には2003年に成立した裁判の迅速化に関する法律が関係しているという。「裁判官は、ともかく早く事件を終わらせることばかりを念頭に置いて仕事する傾向が強まっている」という。しかも「最近は新受件数が減少しているにもかかわらず、和解の強要、押し付け傾向が改善されないのは、こうした事情による。」としている。
裁判官は判決を書きたくない
「もう一つの理由は、判決を書きたくないから」だという。その理由として、「判決を書くのが面倒である、そのために訴訟記録をていねいに読み直すのも面倒である」という理由が挙げられている。また、判決を書くことで上から評価されたり、失点につながるような事態を避けたいということもあるそうだ。国民の生命や財産を左右する裁判が、まるでサラリーマンの保身のためのような理由で処理されているなら、本当にどうしようもないことだ。
私の勤めていた企業も同じような状況だったから、筆者が告発している組織の問題自体には、意外性は感じない。日本の組織はどこも同じなのかと感じただけだ。企業は、近年、コンプライアンスの管理を強めているが、それは、たいていの場合、企業防衛だけの目的で実施されているのがほとんどだ。問題が発覚すれば、社員を処分して企業の業績に影響を与えないように振る舞う企業が多い。企業の場合、コンプライアンス違反を暗黙的に認知していても表面化しなければ触れたくない地雷を抱えているケースは多い。これもことなかれ主義だ。
しかし、最後の砦と思っていた裁判所もことなかれ主義の典型である一般の役所と違いがないのであれば、国民や市民の権利を憲法に従って誰が守ってくれるのだろうか。こうした裁判官の行動の原因が「裁判官多忙」から来ているというのは神話に過ぎないと筆者は指摘している。筆者は一審の判決について「第一審の判決は、結論と結論を導くに至った理由をわかりやすくかつ的確に示せばそれで足りるとの割り切りをしたほうが、裁判の運営全体がより健康的になるのではないだろうか」と提案している。
→あの大企業の子会社、派遣社員の時給半分をピンハネ&解雇!違法雇用の横行許す裁判官!
法曹一元制度を導入し、最高裁判所事務総局は解体されるべき
司法制度には、裁判官制度の欠陥を是正する機能が期待される、「弁護士任官制度」や「判事補の他職経験制度」が存在するが、最高意思決定機関である「最高裁判所裁判官会議」同様、筆者によれば、形骸化してしまっているようだ。だから筆者は、「司法試験に合格した若者が司法修習を経てそのまま裁判官になるキャリアシステム(官僚裁判官システム)」から「相当の期間弁護士等の法律家経験を積んだ者から裁判官が選任される法曹一元制度」に変更すべきだと主張している。
そして裁判所の意思決定は、ガラス張りにした上で、現在、建前化してしまっている最高裁判所裁判官会議が実際に行うべきだとしている。さらに実質的に人事権を握っている最高裁判所事務総局は解体されるべきだとしている。司法制度改革をいくら行っても事務総局が存在する限り、制度改革は骨抜きになってしまい、成功しないというのが筆者の意見だ。これまで行政改革の名の下に省庁の再編が実施されたが、結局、官僚が制度改革を骨抜きにしてきた歴史と同じで小手先の改革は水泡に帰すことになるように私も思う。
「それでもボクはやってない」はあなたにも起こる!
痴漢冤罪事件をテーマとした映画「それでもボクはやってない」はあなたにも起こる!というのが筆者の私たち国民に対するメッセージだ。
→ウソの「強姦証言」で服役3年半 「無実の男性」が受けた損害はどう補償されるのか
政治家や官僚が国民のために仕事をするという良識を持っていると考えるのは、大きな間違いだ。消費税がどれだけ上がっても年金は、必ず減るだろうし、企業の法人税は下がっても国民の税負担が減ることはないし、社会保障費は減り続けるだろう。政府が国会に提出を予定している「ホワイトカラーエグゼンプション」(残業0法案)は、特定の業界では、既に10年以上前から実質的に存在している。
私も昔、勤めていた企業に「定額残業制度」が存在していた。管理職でない特定の職位以上の者に対して実施されていた。残業してもしなくても少額の残業手当が出るが、定額残業手当以外の残業代は一切出なかった。定額残業代が払われる時刻前に退社する社員はほとんどいなかった。成果などには一切関係なく、暗黙の退社時刻になるまで実質的に拘束されていた。無論、休日出勤手当を申請する者などいなかった。それどころか、代替休日を取ることすら憚られた。これは、謂わば、拘束性賃金上限制だ。
→離職率100%、定時は終電の会社を私が辞めるまで~社員の給料は残業代込みで支払っていましたから、社員が何時に帰ろうと残業代をさらに支払うことはなく、会社は痛くもかゆくもありません。
「ホワイトカラーエグゼンプション」法案は、どんな理屈をつけようとも労働者にはマイナスにしか働かない。大企業のコスト抑制の片棒を担ぐだけだろう。国会で成立すれば合法となり、違憲の疑いが濃いこの制度について将来係争になっても裁判所が憲法判断を回避するなら国民には、自分たちの権利を守る手段はない。それどころか、安倍政権は、集団的自衛権だけでなく、憲法自体を変更しようとしており、気がついたときは合憲になっている可能性もあるのではないだろうか。
消費税は上がった。そしてさらに上がることが決まっているが、議員定数削減や議員報酬削減等の身を切る改革は最近は言及すらされなくなっている。公務員改革もまた同じ。そう言えば公務員の共済年金はどうなったのだろうか。すべては国民負担と国民の義務に転嫁されようとしている。あげくに将来、若者が、戦争に駆り出される危険性が高まってるというのにテレビはのんきにバラエティ番組やドラマの視聴率に一喜一憂している。私たち国民は、池上さんのメッセージを真剣に聞くべきだ。為政者が、私たち国民の権利を侵害するはずがないと思ったら大間違いだ。
安部首相は、福島の原発事故も拉致問題も消費税増税も社会保障制度改革も、そしてアベノミクスですらどうでもいいのではないだろうか。自分が進めたい政策、「美しい国」と「美しい人」の実現のために協力する人はすべて安部首相の「お友達」なのではないだろうか。私は、解散総選挙前までは安部首相の人柄をほとんど知らなかったように思う。
→シリーズ企画 あらためて安倍晋三を研究する 内田樹と白井聡、気鋭の学者2人が安倍首相を「人格乖離」「インポ・マッチョ」と徹底批判
根は同じ国民の無関心と他力本願
自治会の問題も裁判官の問題も結局のところ根は同じように思う。国民や市民の無関心。誰かがやってくれるという他力本願。もう政治家や官僚に騙され続けるお人好しの国民からさよならするときだ。戦後70年、私たちは、今、いろいろな意味で大きな瀬戸際に立たされているように思う。安倍政権の政策は、戦後70年に亘って進められてきた民主化をちゃぶ台返しする行為ではないだろうか。
TPPの交渉内容等の重要事項は、国民にはほとんど開示されていない。蓋を開けたら既に時遅しという結果にならないことを願っている。外交問題だとしても機密情報ではなく、国民生活に密接に直結する事柄が何故、きちんと国民に開示されないのだろうか。裁判所だけでなく、国民も上意下達のヒエラルキー構造(ピラミッド型の上下組織)の最下部に位置づけられ日が来るのではないかと妄想してしまう。 おしまい
→自公与党が政権批判封殺を画策!最高裁に圧力 国会、地方議会にも波紋広がる
*国会議員の3分の2の賛成で国民に発議して過半数(の賛成)で良い。だけど、誰が見ても国民投票にかけるまでもない内容もある。これは国会の賛成だけでできるというやり方でいい。
→河野洋平氏、安倍首相の安全保障政策は「前のめり、非常に不安」
→官邸の安保担当も務めた防衛省元幹部が証言!「集団的自衛権は安倍首相の個人的願望だ」
〇最高裁判所 概説<ホームページ抜粋>
最高裁判所は,憲法によって設置された我が国における唯一かつ最高の裁判所で,長官及び14人の最高裁判所判事によって構成されています。最高裁判所長官は,内閣の指名に基づいて天皇によって任命されます。また,14人の最高裁判所判事は,内閣によって任命され,天皇の認証を受けます。(中略)
最高裁判所には,我が国で唯一の最高の裁判所としての司法裁判権が与えられています。さらに,憲法は司法権の完全な独立を守るために,訴訟に関する手続,弁護士,裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について規則を制定する規則制定権を,また,下級裁判所の裁判官に任命されあるべき者の指名,裁判官以外の裁判所職員の任命及び補職,裁判所に関する予算の編成への関与及び実施等のいわゆる司法行政権を,最高裁判所に与えました。最高裁判所のこれらの権限の行使のために,附属機関として事務総局,司法研修所,裁判所職員総合研修所及び最高裁判所図書館が設置されています。
最高裁判所は,このようにして行政府及び立法府からの干渉を排除し,裁判所の運営を自主的に行っています。
(注)第2次安倍内閣(2012年12月26日)以降に任命された最高裁判所裁判官は、長官及び判事5名である。
〇【詳報】「今、日本は戦後最大の危機を迎えている」大江健三郎氏、鎌田慧氏が会見
*日本の裁判官たちも、あるいは官僚たちも、政治家とともに、非常に不思議なほど、安倍政権のやり方を支持するほかない、というところに固まっていて、原発の再稼働に向かって、あらゆることよりもそれを第一目的としている。
〇安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた
*それにしても、なぜ安倍首相はこれまでこの無責任デタラメ答弁の問題を追及されないまま、責任を取らずに逃げおおせてきたのか。この背景には、いつものメディアへの恫喝があった。
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