短い感想や情報発信をつぶやきと表現している。ツイッターに似ているが、読みっぱなしにして欲しい一方通行の投げかけ。他人(ひと)によってはごみでいい。他人(ひと)によってはヒントになるかも。私はツイッターやSNS、LINEが嫌い。ブログですら自分の備忘録として書いているから投稿を受け付けていない。内容は○○がいい!とか、○○が好き!とか、あるいは、こんな発見をした!といった“ちょっといいと感じたものたち”のことを記録として残そうと思っただけ…
<第11号>雨とバス・ストップの歌が聴こえる (2018/9/2)
幻聴の話ではない。昭和という時代は今年流行った歌というものがあった。しかし、現在は多様化して今年流行った歌とか曲とか聞かれても何も思い浮かばない。時代という感覚が消失してしまったように思う。日々がただの時間の連続に過ぎなくなってしまった。
お正月もクリスマスも待ち遠しいという気持ちがなくなってしまった。正月は連休の一つに過ぎなくなってしまった。何かを共有しているという感覚がない。電車の中でも食卓でも周囲に対する関心が薄れ、ただただスマホを見ている人ばかりだ。
「雨♬」と「バス・ストップ♬」は共に1972年に流行っていた歌謡曲だ。「雨」を三善英史が飄々と歌っていた。「バス・ストップ」は平浩二の歌だ。私は二人の曲はこれ以外知らない。だが、長い時間が流れたのにこの二つの曲がときどき突然のように聴こえるときがある。
街を歩いているときに何の脈絡もなく、曲が頭に浮かんで思わず口ずさんでいることがある。カラオケで歌ったこともないし、意識して歌詞を覚えようとしたこともない。当時も意識的に二つの歌を聴いていた記憶はない。だけど鮮明な記憶として二人の映像が頭に残っている。おそらく、何回も頭の中で再生されて焼き付いてしまったのだろう。
二つの曲を聴くとあの頃の時代の空気が蘇って来る。しかし、現在のことを後になってあの頃とか、あの時代として思い出すことはおそらくないように思う。だから、余計にこの二つの曲が運んでくる時代が懐かしいのだと思う。失われたものに対する郷愁なのかもしれない。昭和には間違いなく、時代という空気が存在した。
雨にぬれながら たたずむ人がいる
傘の花が咲く 土曜の昼下がり
約束した時間だけが 体をすりぬける
道行く人は誰一人も 見向きもしない
恋はいつの日にも 捧げるものだから
じっと耐えるのが つとめと信じてる
(「雨」より)
バスを待つ間に 涙を拭くわ
知ってる誰かに見られたら
あなたが傷つく
何をとり上げても 私が悪い
過ちつぐなう その前に
別れが来たのね
(「バス・ストップ」より)
<第12号>「七人の刑事」と「夜がくる」 (2018/9/3)
「七人の刑事」と「夜がくる」というタイトルはハミングとスキャットというタイトルでもいい。子供の頃、私は「七人の刑事♬」というドラマを楽しみにしていた。オープニングのハミングのテーマソングがいまだに耳から離れない。「夜がくる♬」はサントリーのウイスキー「オールド」の有名なCMソングだ。軽快なスキャットが心地いい。
「七人の刑事」のテーマソングは哀愁を帯びた曲調がドラマにぴったり合っていた。一方、「夜がくる」というコマーシャルソングがテレビから流れてくると上質な大人の夜の世界への憧れに似た気持ちが湧いてきたことを覚えている。社会に出てからウイスキーと言えばサントリーのオールドのことだった時期がある。オールドの上には「リザーブ」があり、オールドの下には「角瓶」があった。
(追記)「七人の刑事」と「大岡越前」のテーマ曲の作曲家が同じだった
最近、我が家のテレビは録画再生機となっている。理由は見たい番組がないため過去に録画しておいた番組を見ているからだ。最近、録画しておいた「大岡越前4(NHKBS時代劇)」を見ていてテーマ曲♬が「七人の刑事」のテーマ曲に似ていることに気が付いた。
二つのテーマ曲の作曲者は山下毅雄だ。慶應義塾大学経済学部卒という曲と結びつかない学歴がかえって好感を誘う。才能というものは誰の中にでも眠っているのかもしれないと思わせてくれる。
山下は「プレイガール」や「ルパン三世」の曲も手掛け、自身口笛の名手だったというから多彩な才能の持ち主だったようだ。長寿番組はたいていテーマ曲もいいものが多い。世の中にはいろいろな方がいる。経済的に豊かになるために大学を出るという発想はあまりにも貧しい。日本の閉そく感は短期的成果を煽る風潮が生み出しているように思える。
<第13号>「太陽がいっぱい」と「石狩川悲歌」 (2018/9/17)
三橋美智也の「石狩川悲歌♬」を聴いていたらなぜかアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい♬」という映画のテーマ曲を思い出してしまった。出だしのトランペットのメロディが似ているような気がしたからだ。(後日、家内に「石狩川悲歌」の出だしだけを聴かせたら、やはり「太陽がいっぱい」?という反応だった!)
私の子どもの頃はフランス映画が全盛期を迎えており、とりわけアラン・ドロンの映画をよく見ていた。名優ジャン・ギャバンと共演した「地下室のメロディ」、リノ・ヴァンチュラとジョアンナ・シムカスと共演した「冒険者たち」、チャールズ・ブロンソンと共演した「さらば友よ」、ジャン=ポール・ベルモンドと共演した「ボルサリーノ」等々いまだに忘れられない名作がある。とりわけ「冒険者たち」は何度見たか分からない。こう書きながらまた見たくなった。ジョアンナ・シムカス扮するヒロインの名を与えられたテーマ曲「レティシア♬」をアラン・ドロンが自ら歌っている音源がYouTubeで公開されている。
(注)ジャン=ポール・ベルモンドの”=”が気になる!
(追記)アラン・ドロンの代表作は「サムライ」だった。
先程(9月22日午後10:30~午後11:30)までNHK BSプレミアムで「アラン・ドロン ラストメッセージ~映画 人生 そして孤独~」というアラン・ドロンの独占インタビュー番組がオンエアーされていた。インタビューの中でもし、自分が明日、死んだらマスコミは「サムライが死んだ」と書くことになるとアラン・ドロンが明かしていた。
「サムライ」は見たが、残念ながらあまり印象に残っていない。しかし、番組の中で主人公が右腕にはめた腕時計を見る映画のシーンを見て私もマネして右腕に腕時計をはめた時期があったことを思い出した。腕の内側の時計の文字盤を見る仕種がオシャレに感じたものだ。
<第14号>ヒット曲はヒットした当時の本人の声が一番(2018/9/30)
私は、最近、「夢であいましょう」と「遠くへ行きたい」をよく聴いている。もともとこの二つの曲が昔から好きだった。とりわけ、坂本スミ子が歌う「夢であいましょう♬」とジェリー藤尾が歌う「遠くへ行きたい♬」が好きだ。
ダウンロード・サイトで曲を探したが、二人が歌う音源は見つからなかった。街のCDショップでも立ち寄ったときに探したが、見つからなかった。
仕方なくと言ったら失礼だが、最近まで小椋佳が歌う「夢で逢いましょう」(あいましょうが漢字になっている?)とダーク・ダックスが歌う「遠くへ行きたい♬」で我慢していた。無論、小椋佳の歌もダーク・ダックスの歌もカバー曲としては十分いいものだと思う。
しかし、カバー曲の方がオリジナル曲よりいいと感じることはめったにない。単に歌がうまいということだけでは原曲を超えられないように思う。
その理由は原曲と個人的な思い出が脳裏の奥深くでつながっており、原曲を聴くことでしか当時の記憶に回帰できない部分があるからのように思う。
しかし、原曲を歌った歌手も歌声をいつまでも維持することはできない。歌手も年を取れば声帯が衰えて高音が出づらくなり、音程が不安定になる。それをカバーするために発声方法が変わり、さらに長年の間に本人の解釈が刷り込まれ、歌が変質してくることが多い。どの分野でも生涯現役というのは残酷なことを言えば本人の自己満足の域を出ていないのが現実のように思う。本人の思いは尊重されるべきだが、楽曲は歌い終わった瞬間に本人ではなく聴いた人の思い出に変わる類のものなのだと思う。
この間、歳を重ねたジェリー藤尾が歌う姿をテレビで見た。残念ながら私の聴きたい「遠くへ行きたい♬」ではなかった。
しかし、最近「上を向いて歩こう 永六輔作品集」にオリジナル歌手の音源が収録されているのに気づいた。当時の坂本スミ子とジェリー藤尾が歌っている音源が入っていた。永六輔も当時の音源が好きだったのだと思う。ただし、二曲ともモノラルで収録されていた。それで分かったような気がした。
この二つの曲はもともと「夢であいましょう」というNHKの番組のために作られた曲で当時、番組は生でオンエアされていた。だから、坂本スミ子とジェリー藤尾が歌う当時の音源があまり残っていないのだろう。
永六輔作品集には「黄昏のビギン♬」も収録されていたが、私はこの歌が最初に水原弘が歌っていたことを知らなかった。てっきり、ちあきなおみのオリジナル曲♬かと思っていた。というのはテレビでちあきなおみの特集をすると必ずこの曲が流れるからだ。
この曲に関してはどちらがオリジナルでもいいように思う。それは、この曲に対する個人的な思い出がないからだ。ちあきなおみの記憶に残る曲はやはり「喝采♬」に尽きる。